父親のヒロシ
[チチ キトク スグカエレ]
受け取った電報を読んだTはとうとうこのときが来たのかと少し武者震いがしていた。直ぐに外に出て公衆電話から実家に電話をした。
プルルル♪ カチャ!
「お兄ちゃん?」
勢いよく出たのはTの妹のイツミだった。イツミは実家から1時間もしない所に結婚して住んでいる。
「おっ、イッちゃんか」
「お兄ちゃん、何処行ってたんよぉ」Tの妹のイツミは電話の向こうで大きな声を張り上げた。
「いや、別に…、それより、お父さんはどうや?」
「うん、昨日の夜、お母さんからお父さんの様子がおかしい、って電話があったんよ。それで直ぐに、お母さんに救急車を呼ぶように言って、中村市立病院に入院した。今、お母さんを病院に残して、私もちょうど荷物を取りに帰ってきたところで…、連絡取れて、ああ良かった」
「それで容体は?」
「まだ何とも…、意識はまだ戻ってないねん、お兄ちゃん、早く帰ってきて」
イツミは冷静に言った。女性では珍しく理性的で動転することもなく適切に判断していた。Tはイツミのそういう所を信頼していて処置とかに関して何の心配もしていない。
「そうか、わかった、お母さんはどうしてる?」
「お母さんはずっとお父さんの側に付いてる。それでお兄ちゃんはいつ帰ってくるの?」
「明日の朝一番の新幹線で帰るつもり」
「そう…、ヒトミもそのぐらいになるって言ってた」
「もう電話が切れるから、それじゃぁな」
カチャン♪
公衆電話の受話器を置き、道路を行き交う車を見て感慨にふける余裕など無かった。父ヒロシとの思い出は色々あったがTの頭は真っ白で何も考えることはできなくなっていた。財布の中を確認して千円札が1枚あることを確認して行きつけの酒屋に向かった。酒の自販機はまだ動いていた。千円札を機械に飲み込ませるとランプがいっせいに付いた。Tは迷わずスーパードライのロング缶を押す。3本買って、2本は自販機の前で秒速で飲み干す。2本ぐらいでは酔うことはなくしっかりした足取りで歩き出した。いつもの深夜の散歩のコースに自然と足が向かう。草が伸びほうだいの公園のベンチに座り、黒のバックからスーパードライを取り出しゆっくりと味わいながら飲み始めた。気が動転してほとんど何も考えることはできない。公園の砂場を呆然と眺めるだけで精一杯だった。暫くしてTは意を決したように立ち上がってママチャリに乗って走り出した。
ドンドン♪
もう深夜零時を30分もまわった頃、ユウジのワンルームのドアは叩かれた。その次の瞬間、ドアは勢いよく開けられた。部屋にいる時は誰も来ないからほとんど鍵を掛けたことはない。出かける時はさすがに掛ける。その時、ユウジはまさに今、眠るために横になって目を瞑{つぶ}って寝入り端だった。ドアは勢いよく開いてTが飛び込んできた。ドアから2歩の所のユウジの寝てる蒲団があった。その上にTは飛び乗り血相を変えながら言った。
「ユウジ、大変や!」
「なんよぉ、こんな時間にぃ」
真っ暗な中、ユウジは手元の電気スタンドを付けた。すると少し興奮状態のTの顔が目の前にあった。
「頼み事があるんやけど…」
「…。また飲んでるか? 酔うて来んといてぇなぁ、酔うとったら会話にならへんし」
「それより、頼むわ、お父さんが大変なんや」
「どうせ金やろ!」
「何でわかるんや」
「他に考えられへん」
「わかった、わかった」
即座にユウジはゴソゴソとカバンの中から茶封筒を取りだして中を確認もせずにTに向かって差し出した。
「おっ、用意してたんか?」Tはあまりの早さに驚いた。
「なんで用意できるんや、薄給のなけなしのボーナスや、ええからさっさと行け」
「おお、あっ、中を確認せんと…」と言いながらTは袋を開けようとする。
「確認せんでええ、心配せんでいい」
「そうか? まぁ帰るわ、足らんかったらまた来るぞ!」
「来んでイイ」
Tは意気込んでユウジの部屋に突入したものの3分も経たずに出てきたて、直ぐ前の神社に行き石灯籠の明かりで茶封筒の中を確認した。万札が数枚以上入ってるのを確認するとまぁこれで帰りの切符は大丈夫だと安心した。
- 2008/06/29(日) 18:25:03|
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「ヤバッ」Tは呟いた。
残りの2人のヤンキーはTがチェックのヤンキーを殴るのを見ていたがそれ程大した感じはしなかったが、その崩れ落ちる姿から事態を察し直ぐに近寄った。スーツの男は解放されてゆっくりと立ち上がって、Tに近づいた。
「どうも、ありがとうございます」
「いや、まぁ契約だからな、それよりチョット」Tはスーツの男を促しながらその場から立ち去ろうとする。それなりに加減したつもりだったが、急所に綺麗に入ってしまった。チェックのヤンキーは一瞬意識が飛んだようだが一応意識は戻っているようだ。それをTは確認して安堵した。ヤンキー達はまだなにやら顔をつきあわせて話している。
「大丈夫ですかね?」スーツの男はケロッとした感じで言った。
「…」呆れたTは気を取り直してスーツの男の肘を持ち引っぱった。Tはカバンを自転車の前カゴに入れて、自転車を押しながら歩き始めた。スーツの男はヒョコヒョコとした足取りでTの後を追った。
「ほんと、どうもありがとうございます」とスーツの男は軽く言う。
「名前は?」
「アベ…、」
「…」Tはアベセイタロウを助けたのを悔やみ始めていた。こんなツマラン男を助けるために自分の大事な正拳を使ってしまったことを嘆いた。立ち上がって顔を見るとさっきやられてる時に受けた印象よりオッサンだった。もう40を越えているようだった。
「これ…」セイタロウは歩きながら財布から万札を2枚取り出しTに差し出した
「おぅ…」
「あのう、ちょっと」セイタロウはまだ何か言いたげにTを引き留めた。
「ここにずっといると、警察が来るかも知れんから行こうか」
「何処へ?」
…このエピソード終り。
- 2008/06/08(日) 19:28:11|
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「うん?」とでも言いたげな顔をしてそのチェックの服を着たヤンキー風の男は振り向いた。
「もうやめとき、そいつと話が着いたんや、もうエエやろ」とTは人差し指を立ててヤンキー風の男の目の前で左右に小さく振っておとなしく丁寧に諭すように言った。
「お前は、なんや!」
「だから契約が済んだんや、その手を離せ!」
「なんやと、お前は関係ないやろ、わけわからんこと言うな」
「まぁどうでもええから、もう止めとけ、そのくらいにしておけ」
「だから、ゴチャゴチャうるさい」
チェックのヤンキーはそう言うと頭に血が昇ったのかスーツの男の襟元を掴んでいた手が緩んだ。スーツの男はこのときばかりと深呼吸した。1人は足を押さえていて、もう1人は立って見てるだけで動きはない。Tはその若そうなヤンキー3人を見て"余裕だな"と確信した。そして頭の中で高速にその状況を算段した。一番強くて厄介なのはこのチェックのヤンキーだけだな。コイツをやってしまえばそれで終りか、スーツの男の足を押さえてる黄色のパーカーは体が大きくて力が強そうだけど目に力がないから気が弱そうだ。傍に立ってる奴は数に入れなくてもいい。
「まぁ、兄ちゃん、そんなにギャーギャー言わんでもええがな」Tは静かに言った。
「なにをぉ! やるんか?」チェックのヤンキーは声を荒げて威嚇した。
「もう、ええやろ、その男も大人しくなってることやし」
「まだアカン」
「何がアカンのや」Tは呆れて言った。
「…、…、教えられへん、そんなことどうでもかまへん」苦し紛れにそのヤンキーは言うと立ち上がった。足を持っていた黄色のパーカーは見上げながら事態の進展に不安を隠せない。スーツの男は急いで深呼吸した。
「さあさあ、もうええやろ、帰った帰った」Tは追い払うように言った。
「何お前、仕切ってるねん」チェックのヤンキーは顔を高揚させている。
「さあ、もう散れ」
「何を、やられたいのか?」
「ほうー、やってみいや、かまへん」
「知らんぞ!」
「かまへん」
神妙な顔になったチェックのヤンキーは少しファイティングポーズを取ったかと思うと、パンチを繰り出してきた。Tは足の踵{かかと}を上げて避{よ}ける体勢を取った。その右パンチはTのお腹に"ペタッ"と当たった。チェックのヤンキーは"どうや!"っていう顔で得意な感じに見えた。Tは顔面にパンチが飛んで来なかったので拍子抜けした。そんなヤンキーのパンチは全くTに効き目が無かった。
「なんやそれ、蚊が留まったぐらいにしか感じんかったわ」
「なんやとぉ」
「もういっぺん打ってみぃ、ええから」
そう促されてヤンキーはまた右パンチを打った。Tが平気な顔をしているのを見てヤンキーはムキになってパンチを繰り出した。Tは自信満々の得意げな顔をしている。
「もう終りか? 何をジャレてるねん」
「それやったらお前できるんか」とヤンキーは虚勢を張って言った。
「できるけど、なにか?」
「やれるもんならやってみろ」ヤンキーは言ってはいけないことを言ってしまった。
「!」Tはチェックのヤンキーのテンプルに右フックを放った。
ファイティングポーズに構えたTの右拳{みぎこぶし}は打ち出す時は脇を締めて小さく、そして当たる手前で腕が伸びて外から回り込むように頭の側頭部に届いた。拳は耳の下辺りをそれ程のスピードはないが力強く頭蓋骨を振動させる。脳味噌は頭蓋骨の中でバウンドする。瞬時に意識は混濁する。しかし、全く痛いという感じはなく、不快感から気分が悪くなる。自分が殴られたということさえ記憶から消える。
チェックのヤンキーの頭が揺らいだと思ったら足から崩れ落ちた。
- 2008/06/01(日) 20:57:56|
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スーツの男
深夜1時を少し回った頃、Tは2980円のリサイクル自転車に乗って住宅街の路地をゆっくりと移動していた。そのリサイクル自転車といっても自分で買った訳でなく友人のヨシノブに買ってもらった。ちゃんとライトも光るしタイヤも新しい、チェーンに油も差してあり快適に走行していた。その辺りは駅前から入り込んだ古い住宅街なので路地は狭く入り組んでいて一方通行や行き止まりが複雑になっていて、タクシーの運転手も嫌がってなかなか入ってこない。深夜になると案外人通りも少なくなって閑散としている。通っていると言えば、自転車に乗った警察官が巡回している。しかし、その警察官もその日は見かけない。
駅前の方にTが行くと、何か揉めている。どうやら酔ったサラリーマンがやられているようだ。Tは喜び勇んで近づいていった。
「どう?助けようか?」
「…」年の頃は40歳半ぐらいのスーツの男はやられてはいるが、目に生気がある。精神はまだ折れていないようだ。しかし、相手はヤンキー3人だからこれから逆転する見込みはない。少し悩んだようだが、スーツの男は大きく首を縦に振ってTに助けの誘いに同意した。
「うーん?」とTは直ぐには助けずに、思案しながらスーツの男に指を3本差し出した。
「…」スーツの男は何のことか理解できないで、不審な目になる。
「わからんか? 3枚でエエ」と言いながらTは人差し指と親指で○を作ってOKサインを出した。
「!、…」スーツの男は理解した。どうやらTは値段交渉を持ちかけていたのだ。3枚ということは3万円ということか。3人だから3万なのか? スーツの男は少し高い気がしたのか直ぐに同意のサインを出さない。
3人のうち2人がヤンキーは暴れるスーツの男を取り押さえている。もう1人は直ぐ横で見ているがTには無関心を装っている。Tの体つきが筋肉質で屈強な感じがヤンキーなりの感覚で察したのだろう。
「!」スーツの男と視線が合った瞬間、Tは指を2本示した。2万に値下げするということらしい。
「…」スーツの男はたまらず大きく頷いた。
「!」Tは持っていた黒のバックを少し離れた柱の側に置き、首を少しだけ傾けて肩をほぐした。そして、ゆっくりとスーツの男に近づき覆い被さっている男の肩を軽くトントンと叩いた。
- 2008/05/19(月) 21:44:26|
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暫くそのままの状態で何分経ったのかわからないがTは明らかに緊張した気分も冷めてきている。いつまでも持続できる訳がないのをユウジは知っていた。Tはその時の気分を一番大事にするからそのときは本気で"絶対に離さない"とか真剣に思っているのは確かなのだが、そんな興奮した緊張感なんて瞬く間に緩んでしまう。ユウジはTの緊張感が緩んできたのを察知して探りを入れた。
「いつまでこうしてるん?」
「ずっとや」と言いながらTは思い出したように腕の力を入れ直した。しかし、明らかに力の入り方が弱くなっている。ユウジはこりゃ早いなと感じた。
「へぇー、一生こうしてるん? そりゃたいへんだなぁ」ユウジはもう主導権を握った。
「…」
「飯はどうするん? ビールも飲まれへんで」
「…」ビールという言葉にTは目を見開いて反応した。
「便所も行かれへんで」
「ロープで柱に縛りつけたる」Tは良い案が思いついて弾んで言った。
「それで? どうするん」
「ずっとお前は柱に縛りつけられたまま一生暮らしたらエエ」
「飯は食べられへんのんか」ユウジは身動きを押さえられながらも反論し続けた。
「別に食べんでぇぇ」
「じゃぁウンコやおしっこはどうするん?」
「…、そこでしたらェェ」
「ぇー? 垂れ流しか?」
「そうや、垂れ流したらエエ」Tはヤケ気味に言った。
「そうしたら、臭く匂うで、ええの?」
「かまへん」
「そうして、どうするの? 10日もしたら死んでしまうで」
「そりゃ、良かった、ハッハッハァー」Tは元気なく乾いた声で力なく笑った。
「へぇー、死体はどうするの?」
「…」
「バラバラにして夜中に公園に捨てに行くか?」
「…」
「野良犬が嗅ぎつけて散らかして、直ぐ警察に知れるで」
「…」Tの緊張感は完全に緩んだようだ。
「でも、どうせ、警察から逃げるようなセコイ真似はしないでしょ」
「…」
「そのうち、程なく捕まって留置場に入れられる」
「…」
「当然、ハルミちゃんに知れる」
「…」Tの表情は変わらないがコレで決まったはずだ。
「もう、エエやろ」と言いながらユウジはTの腕を解いた。Tは抵抗することなくユウジを解放した。ハルミというのはTの母親で愛媛で年金暮らしをしている。やはり母親の名前を出すと効き目があった。ユウジはTの腕をゆっくりと振り解いてその腕の中から逃れた。ユウジは内心シメシメと喜んだがそういった素振りは見せず神妙な顔を努めた。ここでまたTの感情を刺激したら、また帰れなくなる。ユウジは視線だけでを巡らせて時計を見ると、まだ12時45分だった。思ったより時間は経ってなかった。実際、ヘッドロックを食らっていたのは30分ぐらいだろうか。
「…」Tは少し大きなため息をつきながら天井を見上げた。
「今日はこのくらいにしとったろ!」ユウジはポロッと言ってしまった。
「なにぃー、まだ懲りてないのか?」Tは直ぐに反応してユウジに襲いかかった。
「ちょ、冗談やん、待って、待ってて」
「なにをぉぉー」
「だからぁ、待てって、なぁ、待って、お願い」
「何を今更そんなこと言うてるんや」
「もう怒った、許さんぞ」
「それ、さっき聞いた」
「なにぃー、もう帰さんぞ、明日は、仕事休め!」
「ウググゥ…」
ユウジはまたもやTに羽交い締めされた。今度はどのくらいで解放されるのやら、深夜1時を少し過ぎた頃だから、夜明けはまだ先、まだまだ闇は長い。
…このエピソード終り。
- 2008/05/07(水) 21:57:32|
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「…」ユウジは黙ったまま手持ちぶさたになり部屋の中を見回した。窓は黒い布で目張りされて、壁にはT自身が描いた油絵が飾ってある。人物や風景などいろいろあるが、目を引いたのはスケッチブックぐらいの大きさのモノだった。それは、年増の女性が足を揃えて後ろ向きに尻を突き出している油絵がある。ポーズがエロチックでドキッとさせる。一際大きな絵は黒いドレスを着た色白の女性が恍惚の表情でチェロを弾いている。ユウジはそれをじっと見ている。
「ああ、それなぁ、もう買い手が付いてんねん」
「へぇーそんなんや」
「もう25万、先に貰ってる。それでまだ完成してないのと置くところがないから預かってるんや」
「フッ」ユウジは鼻で笑った。
「だから、これはダメやからな」Tは真剣な顔で言っている。
「はいはい、どうせ金が欲しかっただけのクセに、しょうもない奴や」ユウジは小さな声ではあるがはっきりと言った。
「なにぃ! もう一遍言うてみぃ」Tに聞こえたようだ。
「なんも言うてない」
「いや、言った」
「言うてないちゅうねん」
「いや、聞こえた」
「どうせ金がほしかっただけ、って言うただけや」
「違う、その後や」
「なんも言うてないがな、しょうもない奴や、って言うただけや」
「なにぃー、誰がしょうもないんや」Tは声を少し荒げ始めた。
「たぶん、あんたやろ」
「あんた? 誰に向かって言うとるんや!」
「だから、あんたや!」
「なにぃー、そんなこと言う奴は他に誰もおらん、この口が言うたんか? この口か?」Tはユウジの口を掴んで引っぱった。そしてそのままヘッドロック状態にもっていった。
「こういうことやるから、皆が怖がってるだけや、何とも思ってないやろ、フフッ」
「なにぃー、もう、怒った、どうなっても知らんぞ」Tはそう言いながらユウジの頭を抱えてる腕の力を強めたが、喉はなんとか閉められてないのでユウジにしたらそれほど苦しくもなかった。そんな状態でもユウジは言った。
「こうやってるあんたが知らん訳ないやろ、ゴボゲホッ…」
「もう許さんぞ!」Tは意気込んで言った。
「もうええやろ、止めときーなー」ユウジは藻掻きながら訴えた。
「…」Tは白々しくユウジの頭を抱えている。
「もうぉ」と言いながらユウジは力一杯、体を動かしてTの腕から逃れようとした。するとTは不意を突かれたのかユウジを危うく逃しそうになった。Tは一度素早く大きくユウジの頭を抱えなおした。Tは安堵して満足げに澄ました表情になった。ユウジはその自信満々の顔を確認してジタバタ藻掻くのを止めた。
「絶対に離さんからな」
「…」ユウジは力を抜いてジッとしている。腹を括って気も楽にしていつまでも待つことにした。
- 2008/04/29(火) 09:53:52|
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夜の訪問
コンコン♪
午後11時を少し回った頃、ユウジの小さなワンルームの部屋のドアがノックされた。その音は小さく気づくかどうか怪しいぐらいの音だ。ユウジはちょうど寝ようとして万年床に潜り込んだところだった。ユウジは半身を起こしながら、言った。
「だれ!」と言ったところで、こんな時間に来るのはアイツしか考えられない。
「よう、元気か?」Tは鍵がかかってないドアから勢いよく入ってきた。
「なによぉ、こんな時間に…、それに狭いのにぃ」
「用がなかったら来たらアカンのか、俺は自由や、来たい時に来る、誰も止められへん」
「そんなバカなぁ」
「この前は、良くも俺を虚仮にしてくれたな、忘れへんで」
「いや、あれはTの歩くのが遅いからやんか」
「そんなの関係ない、お前が悪いんや」
「そんなアホな、無茶苦茶な」
「ほな、行こか!」
「何処へ?」
「何言うてんねん、決まっとるやろ、お前の体に聞いたろか?」
「変わらず無茶苦茶な」
「待ってるから直ぐ来いよ」
「はいはい」ユウジは小声で返事した。
一度言い出したら聞き分けがないTに反論するのを止めた。もう11時半になっているのをデジタル腕時計を見て確認したユウジは諦めてTの部屋に行くことをした。ユウジは財布に3千円だけ残して1万円札はお金を入れてるお菓子の小さな空き缶に戻した。そして、その空き缶を無造作に本棚の本の間に突っ込んで作業用の防寒上着を着て部屋から出た。
「よお、行くぞ」
アパートから出るとTはユウジの袖を掴んだ。
「何よぉ」ユウジは怪訝な声を出した。
「目を離したら、危ないからな」
「何が危ないねん」
2人は並んで歩き出した。あれは最終の電車だろう。駅ではゆっくりと客を待っているようだ。
「明日は仕事か?」Tは線路の下を通っている地下道を歩きながら言った。
「うん」
「休め!」
「何でやねん」
駅前から少し行くと込み入った住宅街になっていた。その辺りは貧民が昔から住んでいるからだろうが、一方通行が複雑に入り組んでいてタクシーも滅多に路地には入ってこない。細い路地を入ると古いモルタルの住宅があった。
「ちょぉ、これで開けて先に上がっとって」Tはユウジに鍵を渡しながら言った。
ユウジは預かった鍵で古い文化住宅風のドアを開けた。引き戸を引くと直ぐ目の前に急な階段が現れた。壁のように見える急な階段はユウジを圧倒して躊躇させた。
「何してんねん」缶ビールを買って来たTは入り口で立ち止まっているユウジに言った。「…」ユウジは無言のまま振り向いた。
「さぁさぁ、そこに靴を脱いで…」Tが示した場所は階段の一番下の段に新聞紙が敷いてあってTのスリッパとスニーカーが置いてある。どうやらチャンとした置き場所は無いようだ。ユウジは仕方なくゆっくりとスニーカーを脱いでその新聞紙の横に少しはみ出る感じで置いた。Tはユウジが階段を上がらないので外で待っている。ユウジが暗い中、階段を上がりかけると、Tが引き戸の横にあるスイッチで明かりをつけた。見た目以上に急で階段の幅も狭い、ユウジは頭が引き戸の上に当りそうになりながら、その戸の上の壁を手で押さえて体を支えたりして恐る恐る階段を登る。踊場も無くほぼ垂直のように思える階段を上まで上がってみたが真っ暗で何も見えない。どうしよもなくてユウジは言った。
「ちょっとぉ」
「そこに電気のスイッチあるんやけど、わからんか? 待っとけ」
そう言うとTは酔っていながら軽快にトントントンとユウジの横に上がって来た。そしてスイッチで明かりを付けた。
「下の電気消してくるわ、階段のスイッチ、下にしかないや」Tはまた階段の下に行った。
ひとり残されたユウジはTの部屋を興味深く見回した。6畳より少し大きい感じしたのはモノを押し入れに入れていたからだろう。板張りの2畳ぐらいのキッチンというか流し場、階段の上にはその部屋だけしかない。もともと下の家主の木造モルタル一戸建てのようだが、上の部屋を貸すために階段のところに入り口を付けて行き来を切り離したような作りだ。ユウジは興味深げにいろいろ見回した。窓には黒い布が目張りされている。これでは昼間でも真っ暗になる。そして、何気に流しの横のボロの木の戸をひっぱると、異常に小さな便器が現れた。無理矢理作り付けたような感じだ。ユウジがその便器を見ているとTが戻ってきた。
「ああ、それなぁ、中に入ったら戸は閉まらん、開けっ放しでしかできん」
「ええっ、ホンマにぃ」
「小便の時なんかこっちにも跳ねてきて困るんや、大の時は匂いがなぁ、でも俺のウンコは匂わないんや、全然臭くないし屁も臭くない」
「ホンマかいなぁ」
「嘘やと思うんやったら一遍、匂ってみるか?」
「まさかぁ、誰が匂うねん、嫌に決まっとる」
「まぁ俺の体はあらゆるモノを浄化してるからな」
「わけわからん」
「キタノ、気づかんと思うけどお前の汚れた魂も洗浄してキレイにしてるんやで」
「嘘や」
「フーッ、まぁわからんと思うけどホンマのことや」
「そんなことない、嘘に決まっとる」
「わからんか? お前がどれだけ人に不愉快を与える存在か?」
「…」
「お前が喋ると皆緊張してしまうやろ、存在してるだけで不快なんや」
「そんなアホな…」ユウジは強がりながらも返す言葉がない。
「自分がなんで孤独なのか不思議に思わんか?」
「…」
「わからんか? まぁええ」
「…」
「コーヒー飲むか?」
「いや、ええわ」
「アカン、飲め」Tは流しの所に行く。コンロにスキットル付きのヤカンをかけた。ユウジはいつの間にか自然に手すり付きのしっかりした椅子に座っている。Tは下の絨毯に座ってユウジを見上げている。
- 2008/04/20(日) 07:58:02|
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